美しい日本語の調べ
美しい日本語の調べ 土屋秀宇先生 (親愛幼稚園サントレ言葉の教育 監修)
「美しい日本語のしらべ」はどこにあるのでしょう。
例えば童謡唱歌。童謡唱歌にはたくさん感じが使われていますが、ほとんどが和語で書かれています。
それを読むことによって日本の情緒、つまり和魂が身につくと私は思うのです。
美しい言葉を育む上で重要となるのが「文語文」、つまり書き言葉です。
現代の若者の話し言葉が乱れているのは、書き言葉をしっかりと身につけてこなかったことと関係していると思います。
書き言葉が話し言葉を「善導」、つまり正しく導くのが日本語です。話し言葉が上手くなる否かは、書き言葉によって決まるわけです。
子どもたちは好んで文語文を覚えます。詩であっても口語詩、自由詩にはあまり興味を示しません。
リズムがなく響きが悪いからでしょう。むしろ定型詩はリズムも響きも良く、格調と緊張感があるので子どもたちに好かれます。
面白いことに幼児や小学生は、漢詩や漢文を好みます。訓読するときの文語文の響きが好きだというのです。
子どもの教室では、子どもたちに漢詩や平家物語などの古典を読ませています。子どもたちは朗唱することで、名詞や名文の響きやリズム、格調、におい、味わいといった「言葉の生命力」を鋭敏に感受することができるからです。かつての日本の子どもたちは古典を朗読することによって、自分の頭脳と精神を鍛え、日本の心と情緒を育んできました。これと同じことが、現代の子どもたちにできないはずはありません。
しかし古典を学ばされると、保護者の多くから「意味が難しくなり理解できないのでは?」「いずれ忘れるのだから役にたたないのでは?」との質問がでます。確かに目にははっきり見えないもの、効果が素早く明確に現れないものを信じることは難しいことです。
しかし言葉の持つ生命力とは、もっと偉大なものだと思います。たとえば食べ物を食べると胃で消化され、酵素分解により人間の意思とは関係なく体中に栄養として送られます。それで生命は保たれています。同様に、子どもたちは意識していないけれど、頭の中で言葉の消化作用が行なわれ、知力や人格形成の栄養というのだと思います。
日本人に今、必要なのはバックボーンを取り戻すことではないでしょうか。日本の歴史と文化、伝統と継承できる「縦軸の教育」のその手段の一つです。幸い日本には万葉集、平家物語などの名詞名文、物語など挙げることに欠きません。「美しい日本のしらべ」を取り戻せば子どもたちは国語がもっと好きになります。日本人としての「縦軸」を受け継いだ人間であれば、手にした繁栄は本物と言えるでしょう。
私が敬愛するフランス文学者、故、・市原豊太氏の著書「内的風景派」には、以下のような一説が綴られています。
国語を大切にするフランスでは、母親が娘の嫁入りに際して、こんな言葉を贈ることがあるそうです。
「結婚持参金はほんの僅かしか持たせられませんが、よいフランス語は教えてあります」
日本でもこんなことを言えるようになったら、どんなにか素晴らしいことでしょう。